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data no.2 「二十歳の原点」付録 ー 読者からの感想 ー
『 二十歳の原点 』新刊本(新潮社)の初版が昭和四十六年五月刊行されて多くの読者から
真剣な心情告白が寄せられ再版時に15名の感想文が付録として添えられました。
私がそれらを要約したものをここに参考資料として掲げます。
年令は19−24歳の方々だろうと思います。
・ 複雑な気持ちー共鳴・反発・同情・友を失った悲しみ・くやしさ・愛しさーです。
・ 親や友人・知人と会うごとに議論を重ね悩み苦しんできました。親との口論、年配者
から学生の甘さ皮肉られ、親友との絆が消えました。疎外感・違和感・気まずさなどに
対峙し、やりきれない気持ちを抱いてきました。
・ 私に対する告発文です。純粋さを保ちえなかった私、それでも生きなければならない私。
友情の幻影を断ち切り、流され、失恋しました。
・ 純粋な気持ちで社会に挑み悩み苦しみ、読んでやる気が出ました。真剣にという
気持ちが起こりました。
・ 所詮無理なことを重ねていた。あいまいな父娘の人間関係を続けることが許せなかった
のに徹底的な生への追求から私は逃げました。自分を否定したところの孤独が何を
意味するかを考えるとこわかった。今後退し弱くなっている、妥協している自分が
見苦しい。
・ 運動は人間性の回復だった。自分に食い込み共鳴し激しい動揺を感じたことは初めて。
自分を映しているようでした。
・ 私のような正反対の人間もいたんだということが大切なんだよと言いたいです。
・ 高野悦子という人間とその生き方に愛着を覚え、これからの生き方が変る。
・ 孤独で自分の否定するものに対して強く激しい闘う姿勢、強烈で厳しい二十歳の
原点に立ちたい。
・ 富士の原生林の詩は、死を予感した若い魂の弦をかき鳴らしたものです。
・ 脆弱な感性、自己創造は幻想と化し、群集と情勢の中に埋没してしまったつまり
環境に順応しようとする一面で運動に参加してきた私は恥ずかしい。
・ 読み進めるうちに私の中でもやもやしていたものが今度は重いかたまりに硬化して
いるように感じました。卑怯で臆病で不真面目な人間であったと見透かされている。
・ 純粋なあまりにも純粋な君の生き方を一秒たりともできるものならば幸福に思う。
汚れた下界で生きるには狂気を必要とする。
・ どうにか生きている。死ねないから生きているような私が生きていてほしいと思う。
わけのわからない感情が起きています。弱く醜い人間であるのに悔しくて泣きました。
そんな私が先生になって子供を教育しようとしているのです。
それぞれに原稿用紙で4−5枚のものを勝手に要約させてもらいました。時間が
許せばいつか全文掲載したいと考えます。ここでは当時の彼女と同世代の若者の
心情の一端が伝わればという思いです。
それから四半世紀が過ぎて当時と同世代の子供を持って改めて痛みを覚えておられる
のではないかと思います。今だに命日に亡くなった場所に献花が添えられています。
当時の面影の消えた場所に。お墓も今は郷里に戻ったようです。
数人ではありますが、その後の読者の感想には違いがあります。時代とともに変化する
のでしょうが、プロローグの初めに出てくる若者の感想が現代の普通の受け方かもしれません。
それは若くして自殺する人が多いからです。疎外感が深刻化しているという声もあります。
家庭においても孤独感が深まっているとも聞きます。彼女とて中学生で死について考えて
いました。しかし家庭が守っていたと思われます。友人との交流も今よりは強くありました。
思春期における自殺の問題もここでは少し扱いたいと考えています。