高野悦子論  ー間人 彰 1998.2.2 加筆ー


序 文
あまりにも多くの知識があります。

だからといって、流し読みはしないで下さい

仕方ないからといって、ご都合主義にまとめないで下さい

ここは譲れないという意志を

たった一つでも心の中に置いておきましょう。

私には他に誇れるものはないけれど

彼女が遺した歴史が一つあるのです。


結果がすべてであるという思考が半ば常識となりました。

過程を重視することがさも怠惰に過ごすように

錯覚させられているようで

声も出せず、いつしか考える事すらできずに結果を示される。

だからこそ、だからこそ、

心のサイフを備えましょう。
ー 栞 ー
昨年の冬、高野悦子さんが遺した日記に刻み込まれた『 人間として 』の課題を

自分なりに整理してみた。それは二十年の間幾度も試みたけれど

為し得なかったことである。未熟な為に出来なかった。

試みてみたけれど跳ね除けられたというほうが正しいかもしれない。

繰り返し整理したが、あくまで『自分なりに』である。

そこで得たことは人間の弱さに尽きる。そして弱いが故に小さいながらも

世界を形成することが分かった。幾つも存在する世界に苦しむことも知った。

過去という自らの歴史さえ重く圧し掛かること、そしてそのことから逃れてはならないことを教えられた。

課題が山積みになっていても、それを解きほぐす手立ては必ずあると

遣りながら模策してみることが生きることだと語っている。

そのように向かいつつある時すでに彼女は満身創痍の状況を心身にもっていた。

その時の一歩は然したるものではないが人間の弱さを自覚する程度が大き過ぎた。

いかに強き人でもその世界では弱者であることは常に示されている。

narasareru ningen dewanaku sozosuru ningen ni naritai
『二十歳の原点』[高野悦子 著]−新潮文庫−は『新潮文庫100冊』の中にあること

を知りました。前回にも述べましたが、この本は彼女が意図したことではありません。

彼女の死後、彼女の父親の寛大且つ人間としての責務から刊行された本であると私は考え

ています。大学ノートに克明に綴られた彼女の唯一の友である日記という歴史書であります。

『二十歳の原点序章』『二十歳の原点ノート』の二冊も刊行されていて、これらは中3時代

までさかのぼった日記を刊行したものである。彼女の著作は上記の三作だけです。

彼女が他界した後に唯一遺された彼女の痕跡−十数冊の大学ノートに刻印された日記−

が原文のまま本となったのです。(一部の仮名を除いて)

高野悦子は、大学ノートを唯一の味方に終始果敢に苦しみながら抵抗した。
生真面目に人間として、生きた人である。「生真面目に誠実主義者である。」
と評した人がいたが、故高橋和巳氏もまた『人間として』を生真面目に追求
した人であった。(後日『高橋和巳研究』はするつもりですので参照して下さい。
検索して分かったのですが、同姓同名で高野悦子という著名な方が他に居られますので注意して下さい。)

次に、生真面目な人の精神世界に立って考察したいと思いますが、その前に
知らない人の為にここで私なりにまとめた『高野悦子が遺した歴史』を語って
置きたいと思います。

『 慣らされる人間ではなく、創造する人間になりたい。』
― 大学ノートに刻まれた生きた証に触れて二十年…… 。―


歴史が生きていく上で必要不可欠な環境であるという認識を、邪馬台国推理
の過程で明らかにした。そして今一つ歴史について明らかにしたことは、嵐山
周辺探索において身体で覚え賀状にしるされた「あれも、これも、歴史ですよ。」
という言葉から啓発を受け理解した意味である。
『 死霊 』という題名の長編小説を半世紀書き続け、思索半ば未完のまま
この世を去った埴谷雄高氏が、「死者の声、叫びは、夢の中においてあるいは
夢想(死者を考えること)の中において即座に届き、人の生に波紋を与える。」
という示唆を遺した。
これらのことが、1997年の初頭つむじ風によって一つになった。
それは、「次に、私が試みることは、30年前自らその生を絶った高野悦子さん
の声を改めて受け止め、今の世でいかに融合しうるかを考えることである。」と
いう行動指針を授けてくれたのです。
だからあえて副題をつけるなら『 社会主義思想に目覚めた青年が、その崩壊
の予兆を自らの生において体現し噛み砕き受容してしまったという、まさに激動
の歴史を一身に背負って発した叫び 』といえる。この副題を付ける根拠は彼女
が記した次の詩にあると思います。

きのう 雪が降った

はちきれんばかりの 白い粒片が

風に酔って はしゃぎまわっていた

純白の 幼き若き 子供達よ

ぶつかりあい 飛びちり 一心に舞う おまえよ

初夏の五月の空を 風が流れゆく

空に 小鳥の歌声が 過ぎ 雲が 風に流れる

空を 風が流れゆき 陽の光も 白い雲にかすみゆき

風の流れに 木々の緑も ゆれて通る

暗くも 明るくもない 五月の空間を 風が流れる


雲にのりたい 雲にのって 遠くのしらない 街にゆきたい
名も知らぬ どこか遠くの 小さい街に。

雲にのろう 雲にのって ゆれ動く 青空をながめよう

そこには 小鳥のさえずりも 深緑の木々のさえずりも ないけれど

はてしない 空虚な広がりが ある

雲にのろう 雲にのって ゆれ動く青空を ながめよう。


旅に 出よう

テントとシュラフの入った ザックをしょい

ポケットには 一箱の煙草と 笛をもち

旅に 出よう

出発の日は 雨がよい

霧のようにやわらかい 春の雨の日がよい

萌え出でた若芽が しっとりぬれながら

そして 富士の山に あるという

原始林の中に ゆこう

ゆっくりと あせることなく


1969年6月23日未明にここで絶筆となった詩はその後生きる人々へのメッセージではないだろうか。

自分自身を高めようという姿勢は次の文章で刻まれている。


慣らされる人間ではなく、創造する人間になりたい

歌をうたい、下手でも、絵をかき

物ごとに、真面目に、真剣に取り組む

『高野悦子』自身になりたい

自分の意志で決定したことをやり、あらゆるものにぶつかって、必死にもがき

他人をいとおしむ気持は一番強いし(そうありたい)

私には、『生きよう』とする衝動、意識化された心の高まりというものがない

男に生まれた方がよかったのか、女でよかったのか。ただ、女は寂しすぎる。

私は、アフリカ的なジャズとか土人の叫び声が好きです。彼等に強烈な生を感ず

る。泣いたり、笑ったり、悲しんだりすることの出来る人間になりたい。

恋人が欲しい。山や海が好きで、詩が好きで、臆病で大胆、繊細で横暴……


一方で、その多感さは、自己反省を強要する。


全く考えずに 『楽しく』事が運んでいく

こんな幼稚なままで 『大人』にさせてしまった社会を うらむなあ

(孤独であること、未熟であることの認識を皮肉りながら)

自己主張が強いし、我がままだ 他人の心情を察することをしない

己を律することができない

私は、小さい頃から、長続きしないとよく言われていた。

自分に自信を持たない 生来の弱さ

日記を読んで イメージが狭小である 詩の勉強の必要性を感じる。


少なからず彼女の心境は理解できるだろう。多くの若者は通過している。しかし、刻みつけ、

そこから逃避することなく、一身に背負う人は希である。逃避せざるえなかった人々をけっして

責めようとはしなかった。むしろ、逃避する人々に詰め寄る自分が律しえないことを反省した。

問題は逃避にあるのではなくて、それらのことをいかに自分の中に刻み込むかではないか。

NEXT 表紙へ

[PR]DoCoMoご利用の方必見!:無料の運命鑑定≪スピリチュアルの館≫