ダイダラボッチ ーYAHOO 検索してダイダラボッチの話を幾つかのページから抜粋させていただきました。ー (茨城県、伊吹町のHP、「風に吹かれて」、「ダイダラボッチ祭りのお話し」他の方々のページより) ・ とてつもない巨人がダイダラボッチだ。関東や中部地方に伝わりダイダラボウなど さまざまな名で呼ばれている。 『常陸国風土記』には大ハマグリをすくって食べる巨人の話が書かれている。 捨てられた貝殻は山のように積もり岡となってそこは「大櫛の岡」と呼ばれるように なった。この岡が「大串貝塚」(水戸市)で、貝塚は国史跡となっている。 「大串貝塚ふれあい」のダイダラボウ展望台は、巨大な足跡から各地の池ができた とされ、巨体と強大な力によって山ができたとされている。筑波山もまたそうだ。 ・ 「ある日のことダイダラボッチが富士山と筑波山の重さ比べをしようとした。 巨大な天秤をかつぎ2つの山を持ち上げようとしたが、筑波山は持ち上がっても、 富士山はびくともしない。そうこうしているうちに筑波山をぶら下げていた蔦が 切れて、筑波山は地面に地響きをたてて落ちた。そのときの衝撃で1つだった峰が 2つの峰になった」 「だいだらぼち」は日本各地に伝わる。 力持ちで性根のやさしい伝説上の大男の名前です。 地方によっては「でいだらぼう」「だらぼっち」とか呼ぶそうです。 なんでも榛名山に腰掛けて、利根川でふんどしを洗ったというから さぞ大きいんでしょうね。 「だいだらぼっち」ってやすおか通年合宿所の愛称になっているけれど、 この名前にはいろいろな願いが込めれらているのです。 「大空のようにでっかい心」「そよ風のようなやさしさ」 「雑草のようなたくましさ」「山のようにどっしりとした姿」 「どこかにくめない愛嬌」「ユーモア」「厳しさ」など、 そんなことをこの大男の名前に託しているのです。 「だいだらぼっち」が大切にしていることは、自らの心で感じ、自らの頭で考え、 自らの力で何かを生み出して生活していこうとする「主体的」で「生産的」な 心のあり方です。母屋をはじめとする建物の建設、わずかではあるけれど米や 食器の生産、合宿所の運営費を少しでもまかなおうとする生産販売活動、 そしてそれぞれ違った個性の仲間と力を合わせて暮らしていくための知恵など、 暮らしの様々な場面でその考えがいきづいています。 ・【 武蔵野に伝わるダイダラボッチ伝説 】 昔々、武蔵野に大太坊という巨人がいたそうな。その巨人、羽黒山に行く途中で、 定峯峠に腰をかけ、笠を笠山の頂におき、槻川のあたりに足をつき粥仁田峠で粥を煮て 昼食をとった。その時に、粥を煮た釜を伏せたのが釜伏山、二本の箸を立てた所が 二本木峠、腰を下ろした石が休石、水を含んで吹いたのが大霧山、大太坊の足跡は 今でも槻川上流白石の山中にくぼ地や沼として残っているそうな。 ・ 「岡山駅から播州赤穂まで通じるJR路線に赤穂線があります。その西側の起点である 岡山駅から3-4駅東側に行ったところに大多羅(おおだら)という無人駅があります。 ほんの20年ほど前までは、駅周囲はほぼ一面の水田で大変にさびしい場所でしたけれど 最近では都市のドーナツ化現象の例に漏れず、新しい住宅がたくさん立ち並ぶように なりました。 ・ この大多羅とはおもしろい地名だな、と思っていました。長く、陀羅尼、つまり真言の 呪文、のような言葉から派生してきたものであろうと思っていました。とはいえ、 そうであればなぜ大陀羅でなくて、大多羅なのだろうか、とか付近にお寺らしきものが あるわけでもないので不思議といえば不思議に思っていました。 後年、調べてみたところでは、江戸時代の寛文六年に備前藩で廃仏運動が盛んになった 時分に、廃仏のついでだったのか藩内にあった数知れない素性だたしからぬ道祖神など を一ヶ所に合祀した場所がこの大多羅でした。 当時はきちんと千福山薬神寺というものが大多羅村にあったそうなのですけれど、 この廃仏運動を受けて住僧立退で廃寺と相成ったそうなのです。 さて、ここからが問題なのですけれど、最近になり、その昔には「太郎」と書いて 「ダラ」と言ったということを聞き及びました。つまり大太郎と書いてオオダラと 言っていたものが、いつのまにか大多羅と表記されるようになった可能性がある ということです。多羅とは多くの羅漢という風にも受け取れますから、ひょっとすると 先の道祖神などを一ヶ所に合祀した際に多羅となったのかもしれません。 しかしながら「おおだら」という地名は、それ以前からあったようです。 では大太郎とはどういう意味なのだろうと言えば、これは力もちの男性という 意味なのです。つまり、昔々、たいそう力の強い男がおったそうな、ということに なります。西日本方面では力持ちの男性という意味になる大太郎も関東方面では力が 強いというよりもむしろ大きなというイメージが強くなるようで、大太郎の後ろに 法師をくっつけて大太郎法師(ダイダラボッチ)と呼ぶものになるのだそうです。 ・ アイヌ説話では、足跡に関するものがあります。 ・ 天邪鬼や大太法師などが肩にになっていた土がこぼれて何々山になったという話 ・ 長野諏訪地方では、「でいらぼっち」と言う。 ・ 岐阜県では「大平法師(だいだらぼうし)」と言う。 ・ 東京都世田谷区の「代田(だいた)」の地名は説話からという。 ・ 群馬県多野郡八幡村(現・高崎市)の赤沼の足跡伝説 ・ 宇都宮の羽黒山の足洗い説話 ・ 西日本の弁慶 ・ 東北の鬼 ・ 九州では「大人弥五郎(おおびとやごろう)」ー これは八幡さまの従者で大昔に 大人を八幡が征服したという口碑があって、伝説になったという。ー ・ 滋賀県坂井郡伊吹町と 岐阜県揖斐郡春日村との境に位置する伊吹山は 奈良時代、 役行者によって開山された山岳信仰の聖地です。 また、不破の関としても 有名です。ダイダラボッチをはじめとした 巨人伝説の 『伊吹弥三郎伝説』『ヤマトタケル伝説』が脈々と生き続けています。 また 水神系統の信仰を背後にもつ、大蛇、雨乞いの伝説も数多く残っているようです。 ここでは 多くの中の一つ、『蛇女房(三井寺の鐘)』を伊吹山麓口承文芸学術調査団 発行の『伊吹町の民話』から 掲載します。 (ダイダラボッチとは無関係ですが、おまけです。) 甲賀 滝本よしのさん (明治44・8・20生まれ)の語りから 「与助という人が、浜辺を通りはったら、 子供のこが蛇を一匹つかまえて遊んでた。それを、ほの与助ちゅう人が 「かわいそうに。そんなことせんと逃がしてやれ。」言(ちゅう)たんやけど 「ほんなもん、わしがつかまえたんや。」 ちゅうて逃がさなんだ。 「ほんなら、わけてくれ。」言うて、 お金をやってわけてもろうて ほいて「もうこんな所、出て来んなよ。」 ちゅうて逃がしてやったんや。 それから三月ほどしてから、トントン、トントン夜中に戸を叩く音がして 「何や、今頃誰や。」ちゅうて起きて行ったら、かわいらしい女の人がいはって、 「道に迷ったんや。今夜一晩泊めてくれ。」って言わはって、そいで泊めはったんや。 そしたらあくる日「私は別にどこ行くちゅうあてもないもんやで、 ここらへんのことさしてくれ。」 ちゅうて、拭き掃除から、ご飯炊きからみなほの女の人がしはったんや。 ほんで、便利がよいで、そのまま与助ちゅう人が置いとかはったんや。 そしたらほのうちに夫婦(めおと)になってしもて、そして妊娠しはって、 男の子が生まれて、与の助と名を付けはったんや。鍋なんか、いろいろとな、 鍛冶をしはる人やったんや。 そして、毎日鍛冶をしていたら、ある日、お母さんの人が「私は、本当は大蛇や。 ほんで年(ねん)をもろうて、3年の年をもろうて、人間に化けて、 あんたに礼を言いたさに来たんやさかい、帰らんならんで、 どうか堪(こら)えてくれ。」 と言うて、琵琶湖へ帰ってしまはったんや。 そしたらもう、子供の与の助がひだるいもんやで、あんまり泣くもんやでほんで琵琶湖 の縁(ふち)に立って、「おまえが帰ってからは、こうやって、ひだるいひだるい言うて 泣いてかなわんさかいに、何とかしてくれんか。」と言うたら、金の玉を一つくれたんや。 もろうてきてこれをねぶらしたら、ほれでお腹がふくれた。 そいたら、ほの土地の偉い殿さんが聞いて「ほんなよい便利のええ玉なら、 こっちへよこせ。」取り上げてしまった。 そいたらまた、ひだるいもんやで泣くもんやで、また浜辺に立って「あれは取られて しもうたんやし、子供は泣くし、どうしょう。」言うたら、またほこへ大蛇が現れて 「ほんじゃ、もう片方の目玉も取るさかいに。ほんで、これをもう誰にも渡さんと ねぶらせて。ほんかわり、わしがもう盲になってわからんさかいに、 大きい手をポンポンと叩いてくれ。ほっと向うへ行くさかいに。 もしまた今度用事があったら、ここで 手を叩いてくれ。ほとまた現れるで。」 こう言うて、ずっと大蛇は帰ってしもうた。 それからほの与の助が六つの時に、ほの土地の偉い人が「三井寺ちゅうお寺へ、 お鐘を、もうずっと遠い所までよう聞こえるお鐘を造れ。」いう触(ふれ)が回りました。 ほいから、ほの与助ちゅう人が自分鍛冶屋やさかいに、何とかして造ろうと思って、 一生懸命もう与の助六つやけど、六つの子を相手に一生懸命にお鐘を 造りましたんや。そして、あの三井寺へ 寄進しはった。 そしたら、その殿さんが「わしが一番に撞くんや。」ちゅうて撞いても、 コンともカンとも言いまへんのや。 それは、ほの次の人が撞いても 音がしません。 「こんな鐘が鳴らないのなら捨ててしまえ。」と言わはったら、与助ちゅう人が 「どうか この与の助に一ぺん撞かしてくれ。これには、母の一生懸命になった念が こもっているさかに。もしこの子に撞かしたら、音が出るかもしれん。」て言うので、 その子に台をこしらえて 撞かしたら、ものすごいよい音が出ましたんやて。 ほんで、それは母の一心、大蛇の一心で鳴りましたのや。 ー 続く ー