NET’HISTORY


ネットを去る人々 2001.2.12 あまたあるページ、希少価値が薄れ、心の開示欲が満ち、交わりの限界を知るに つれて、一つの生のシーズンが終わりを迎えたという感慨があります。 語り過ぎても、心象に深く触れても、よくないということなのか かつて幼い頃、磁石を互いに近づけて微かな動きに瞬きしていたこと、そして なおもとわずか近づけ合った一瞬に幼き心の期待を打ち消した磁石の吸着のことを 思い出した。長く願望し叶えられなかった心の触れ合いは、もともと願望という名の 下にあったのかもしれません。ほどほどが良いのではないです。 関わり合うという枷が持てるかどうかという、極めて簡単な着衣と同じことだった。 心の動きに惑いさまよって過ごしたシーズン。オフの後にまたシーズンを迎える。
表現手法について 2001.2.4
初めて自分だけのページを発信した時のことは忘れられない。 文字だけのページでした。それでも繰り返し失敗ばかり、当時は物まねばかり、 どうしてうまく表示できないのか、手順通りしているのに作動しないのは何故? 半年はイライラの連続でした。半年して雑誌等で少しずつ解説書が紹介され 読みつつ理解が始まりました。文字の形・大きさが指定できるようになってから 全てがうまくかみ合うようになったと記憶しています。 表現手法と語りのリズムは相乗効果を出します。 ネットに表現したい願望は誰もが抱くことです。誰もがアクセスして自由に閲覧できる 場に参画できることは、自分のショップを設けられることと同じですから。 でもこれは長く続かない願望でもあります。日々の生活と結びつき難いことが 理由の一つです。 知ることや学ぶこととよく似ています。「癒し」や「娯楽」や「発表会へ作品を出すこと」が 目的だからでしょうか、明日への目に見えた成果なり、財に結びつかないからでしょうか。 その先へ行きたいです。そう考えて壁に当たります。 個人の表現できる場としてのネットは、商業や宣伝活動の場になってきました。 ページには何らかの表現者の心が映ります。人の心です。素朴なこころです。 ところが、意図された心が技術的にもパワーという点においてもはるかに強くなって 圧倒しているのが実状です。
ネットライフについて 2000.10.14
歴史というには、あまりにも短い歳月のことではあります。 しかしながら、これほど充実した時を持てた悦びはかつてないことでした。 それを形として残し、飾らない言葉で伝えたい思いは変わらずありました。 「NET’HISTORY」というページを設けて伝えようと思います。 ホームページを開設する一年前に、自費出版の構想を立てて「嵐山文学」という 小冊子を月刊で作成し、心のままに表現する試みに着手しました。 月刊冊子といってもワープロで作成しコピーしたものを綴っただけのもので 自営していた食堂の片隅に閲読用に公開したにすぎません。 ある程度纏まってから自費出版しようと考えて語り始めました。 私にとっては、持病ともいえる心臓への負担が想像以上に大きいことに驚いたものです。 語るだけのことではありますが、不特定な人々に心のままを告げることの戸惑いと 心の動揺は消えることはありませんでした。 作家が自分を曝け出す職業というのは過去のことではありますが、敢えて、それを 試みたわけです。作家になる意志はなく、文筆家を志す。あくまで心の交流が できればよいというのが目的でした。拙い文章ではありましたが、読者の手応えは 徐々に伝わってきたものです。「売っていただけませんか?」という声が増えてきました。 B5版で30ページの冊子をコピー代だけいただいて渡していました。 一年経過してインターネットの存在とホームページがあることを知り、暫くは様子を 見ながら併用していましたが、ネットの普及が急速になったことや、表現の舞台として その機能の充実を知るに至って、自費出版を止め、ネットに夢を託すことに決めました。 今から二年前のことです。 当時のネット利用の状況もまた、同じ傾向であったように思います。心の中を解き放ち ありのままを公開する気運が広がっていました。特に、不倫日記に代表される動きです。 日記というものを自分だけのものにせずに、赤裸々に公開表現する気運でした。 この気運は今も変わらずにあるようです。特に若い女性が主導していました。 一方で、社会から受ける精神的なストレスの癒しの場として利用され始めていました。 あるいは、趣味の成果の公開の場としても利用されていました。 癒しの場にする気運は急速に広まり、インターネットの利用の主役になりつつあります。 掲示板やメールの普及が大きいです。 自己主張の場として、これほど自由な世界は未だかつてなかったことです。 しかしながら、心の交流や癒しは、時が経つにつれ、刹那的なものであることが 自覚され出すと、幻想の世界とかバーチャルな世界という割り切った見方が定着して 去っていく人が一方で増えていきました。心の交流の難しさはネットにおいても 同じことです。バーチャルな世界という自由さと気軽さに翻弄されただけで 本質的な心の交流を成し遂げる障害に立ち向かう余力は終に生まれなかったのでしょう。 もとを正せば「癒し」であったのだと思っています。現実社会で為し得ないことは バーチャルな世界でも為し得ないのです。そのことは、日本文学の歴史を辿れば 明らかなことです。大業といわざるえない行為なのです。 私自身も諦めたわけではありません。いつかまた、同じ志の人に出会える可能性は あるはずです。その為に軌跡は残しておきたいと考えています。



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Arashiyama 文学

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