風車作ろう up date 3-22
風ありき
1..風と私
私が「風」というものを身近に感じ、大切なものと意識するようになる契機を この時得たようです。風力の知識は学生時代に学んで、流体力学の一項目として 風の動きは知っていたが自らそれを生かす道で展開することはしなかった。 風車の研究と事業化は環境問題の高まりとともに近年注目されている。 エネルギーとして個人の製作運動も始まっているようですが、私の場合は、 景観の一つとして風車を捉えています。
添え書きされた和歌 揺れ戻る葉ずれの音のなかましう 風 吹き抜ける竹林の径 (嵯峨野) 嵐山にある小倉山山麓から吹き下ろす保津峡が導いた強風である。 さらに竹林の中に堀りさげて設けられた小径をその風が吹き抜けるのである。 地元の人々にとって見慣れた光景であるが旅人にとっては特異な現象と 遭遇したこととなる。歌として書き留めるには絶好の風だが日々の生活には ちと異常であると思われたに違いない。男女の絆においてもそれは当てはまる。 青春の一頁としては認めうるがそれを一生の季節風にはしたくない。 絆。人と人がなんらかの絆で結ばれる。生真面目に真剣に接すればそこには 必然的に人間としての絆が芽生え育まれるはずである。 大胆にもそんなことを信じた青年がいた。 万灯篭に万の灯なくてどこまでも石の匂ひのつづきてゐたり この和歌も同じ作者が書き送った歌である。万灯篭が青年の抱いた一つの信念と 考えたなら灯火は真理であろうか。石を素材に造形された万灯篭は時を経て それとして用いられなければただの石に過ぎない。そのように解釈もできる。 さらに言えば、石そのものも今では歴年身に染み込ませた匂いとして在るに 過ぎないのであろう。かっての青年は七十代半ばになった老女の変わらぬ慈悲に さらなる謝意を覚えた。求めて叶わなかった絆があったけれども、 得難い予期せぬ絆が見えないところでつづいてゐたのであった。 生真面目に真剣に接することへの慈悲と愛し合うという男女の絆は重なることもあれば 擦れ違うこともある。生身の人と人の絆において存在する真理はただ一つではないことを かっての青年は改めて思った。
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