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『 高野悦子 』PART2・・・  間人  彰



2 話    未熟であること    





Oさんは「焦らないこと」を彼女の日記から学んだと言われた。年令が若い程経験も知識も



未熟であることは動かせない事実です。だからといって何も主体的に行動ができないもの



でもないのに躊躇しがちになる。経験や知識の量が多ければ優れているという思考が支配



しているからでその点を見極めることがまず大切なことだと思います。



有言不実という諺がありますが、実行することに着目してみると解ける問題です。「人を



差別してはいけない」と言われますが、ほとんど差別しながら生きているのではありませんか。



友人を持つこと、愛すること、親切にすること、大事にすることにおいて万人平等にしていません。



それは好みの違いだよという声もありますが、知らないだけで差別をしていることは明らかだ。



差別という言葉が注目され、批難され、人間悪と定着したから特別に嫌な響きをもたらすの



だけれどいかに違うと正当化しようが意識から除外しようが差別に変らない。意識できない



ことを反省しなければならない。差別のもとに相手を傷つける行為が問題というだけではない。



こうしたことが成熟するにつれ多くなるのですがそれを認識せずに未熟な人に接する言動を



未熟な人は直視しなければならない。最近の若者をみると、開き直って未熟も成熟も同等と



考えることもよくないですが、優劣の視点ではなくて何を考え何を為すかが視点であります。



どうも、抽象的に書いてしまいますね。具体的に話していきます。





日記の中で彼女は未熟であることを必要以上に自分に告げている。



学習意欲は具体的項目として記しているのです。当時私も同じようにノートに書いています。



ただ実行が続かないのです。学習の時が惜しい、こんなことをやっていていいのかという



問いがひっきりなしに現れる。それよりもガリ版に向かっている方に、身体も意志も走る。



自分が豊かになることは望むけれど批難も浴びせるという、二面性が絡んで同居している



から日記を離れるとすぐに批難者が支配し出す。焦りではなくて明確な自分の声が片方の



自分の行為を批難するのです。ここでも明確さが優位に立つ。





少しまた余談になりますが、日記について思うことを書いておきます。



奇妙なことですが、日記を書かない日のことを分析しますと、現実に夢中になる時・喜怒哀楽



を味わい尽くしたい願望が特に強い時などそこから一歩も逃れないままに疲れ何もしたくなく



なり一日を終える場合があります。あるいは、衝撃的な出来事に翻弄されて混乱したまま床に



就く場合や書くことによって決意なり恨みなり温存しておきたい衝動が作用して反省や自虐に



よって思いが変化することを恐れる為に日記を書かない場合などが考えられます。これは今も



若い時も変らずあることです。彼女の場合もそれが伺えます。日記に書かれたことは確かに



事実ばかりではないことを考えて読まなければなりません。故意に作文されているのではなくて



その時の本意が作為されるということです。その意味では少し離れて見渡す試みを常に心がけ



ていなければならないと考えます。





さて、明確な自分の声というものの正体は何でしょうか。現実です。日々の生活の中で直に



味わう感性といえます。若者が考えることを中断したり避けたりして感性の趣くままに言動を



とるのは明確な自分の声に呼応することで生を意識したいからです。生が意識できないことほど



辛いことはありません。殴り合いの喧嘩をしたり、身体をぶつけ合うことの明確な証しは他に



探してもないでしょう。女性にはそれがないのです。あるとすれば男性との性交渉から受ける



体感なんです。すべての女性が求めるわけではありませんが求める人もあるのです。



そうであっても臆することはありません。自分を責めることなんて全く不要です。むしろ



心血注ぐべきことは次なる飛翔への機会を模索することだと考えます。それによって得られた



快楽やわずかな悦びや生の実感を携えて新たなことへ歩む足がかりにすべきなのです。



そうして現実が積み重ねられていくのですが、先ほど述べたように差別意識が作用して結論を



急いでしまい一刀両断の下に現実にそぐわない思いや重ねてきた不確かな行為を切り捨てて



しまいがちになるのです。





3 話    世界の創造 (1)はじめに  





人間の心の弱さや未熟さに抗して苦しみながら自分の世界が少しずつ形成されていくのですが



数多くの他からの支援が不可欠です。それを妨げるものに不信感があります。「差別意識が作用



して結論を急いでしまい一刀両断の下に」否定する傾向が強い為に不信感は募るばかりです。





未熟であることから自分の世界を創造することへ一気に飛躍したところで長く中断していました。



自らの存在意義への不信感が彼女の世界構築を妨げていたことに答えが見出せなかったのです。





『他からの支援を受付なかった理由はなんであったのか。いろいろ考えた末「プライド」だと



思い至りました。いかなる境遇にあろうと人には 「プライド」が唯一残ります。たとえ自他共に



切り刻み削り取っていくにしても捨て切れないものが「プライド」です。粉飾されたものではない



正味の「プライド」のことです。「私が私である為に」は『ソウルメイト考』で触れました。



その核にあるのが「プライド」なるものなのです。精神的に救いの手を差伸べられない人に接した



時に見出して配慮しなければならないものです。死刑囚が最後に拠所とするのは聖書です。



その事実は知っていますが理由については深く考えたことがありませんでした。罪を許される



理解を求めたのではありません。人間としての「プライド」を自らの中に見出す為に拠所にした



のではないかと思い至りました。いかなるプライドに核を置くかで人は生きようとするのではないか。



雑多にあるプライドには空虚なものも歪んだものも数多く含まれていますしそれぞれに影響されて



います。喜怒哀楽もそこから派生します。煽てられ擽られその気になって過ごしていきます。



一時の喜びのすぐ後に虚無に陥るのもそこに原因があるのです。



「私が私である為に」を追求する上で、また、自分の世界を構築する上で捨て切れぬ「プライド」を



穿つことが大切だと思いました。それが何であるかは彼女の構築できなかった世界を解き明かすよりも



容易に他者でも理解できることだと思います。そしてそれは彼女だけのことではなくて、



人間としての在り方を私達に示唆してくれるものと考えます。



これを踏まえた上で世界についてアプローチしていきたい、そして彼女への献花にしたいと考えます。





3 話    世界の創造 (2)語ること  





大学に入学した年の暮に「今までの十八年の生活を支えてきた私が、私であったと自覚させたところの



エリート意識、優越意識(今のこの体制によって支配者によりつくられたものであるらしい)が



加入することによってくずされていく。その結果自分がなくなる恐しさがあった。」と日記に



書いています。民青への加入をめぐって「私と私の存在」について究明させられたのでした。



しかし学生であるという一つの私の存在を否定することになったのです。しかも他には確かな存在



が見出せていなかったのです。学習によって新たに構築していこうとしました。



それから一年半新たなプライドは創造できなかったように思います。意識しうるあらゆるプライドが



ことごとく内外によって崩れていくばかりではなかったかと思います。





プライドを創造するとはどういうことでしょうか。確かな私を見出すことに他なりません。



孤独であり未熟であることを突き詰めてしまった彼女がどうすれば己を見出せるのか。



あまりに先鋭化してしまった批評眼を携えて果たして可能だったのか。



貝のように己を閉ざし、しかも他人から見透かされる演技者を演じ続けなければならない自分を



否定した人にとって、内から創造することは不可能といってもいいだろう。』





こう書くのが二月の時点ではできませんでした。同等とは言いませんが近い状況の人と関わっていた



からです。放置していても進展しないと思い直して書くことにしました。書く事で読んでくれる



でしょう。他人が導けばわずかでも批評が出るものと考えました。



私のこれについての解答は次の通りです。





何を置いても「語ること」です。聞いてもらえるまで他人に語ることだと思います。できれば



ですが、話を聞いて意見を述べてくれる人に語ることだと思います。信頼がなくとも他人に



語ることで日記に書くよりも自分のことが理解できます。幸いなことに現在はホームページが



あります。深刻な苦悩の解決は望めなくとも待てば意見が聞けるでしょう。また意見がなくとも



他人が読むということで日記に書く内容と異なるものになるのです。他人の介在を許す気持ちが



大事なことなのです。アメリカなどでカウンセラーが定着していることが何よりの証しです。



文化の違いだけではないと考えます。私自身語ることで予想外に進展しました。焦らず語ること



が解答です。では、当時彼女には何もなかったのでしょうか。



本の解説者も指摘しているように女であること、社会そのものが語り手に対して聞こうとしない



時代であったこと、個人の人権尊重が今以上に低かったことがあります。



価値観の違いが強調され過ぎて口を閉ざす傾向がありました。思想が語る言葉を検閲していたのです。



それは家族間においても浸透していました。ですから不幸な時代の境遇にあったと判断します。



疎外観というものが注目されたのは最近です。15年前に関心があって調べたことがありますが



社会学を教える人々にもほんの一部でしか扱っていませんでした。老人社会学とアメリカで注目



され始めた特殊社会研究位でした。





4 話    世界の創造 (3)自己解体と愛  





徹底的な冷徹な自己解体を為した時、愛が必要です。普段必要がないと公言する人でも



この時だけは愛し愛される実感が何よりの光です。偽りの愛であってはなりません。



そうであれば相手を追い込むものでしかないのです。



世界の創造には愛が必要です。刹那の愛であっても何らかの世界が創造できれば



本当の愛と言えるでしょう。実際にその愛の行方が消滅の道を辿ろうが、憎しみに転じようが



創造された世界がある限り人は生きるプライドを所有したのです。



彼女は誰もが為し得ない自己解体を成し遂げました。そこに私は今まで長く魅了されてきた



のだと知りました。死して甦るという諺の意味はこの自己解体を含んだものです。



自己解体をせずに生きることもできます。しかしそれを為してしまったなら惑わず



愛し愛される実感を求めましょう。躊躇なく素直に、そしてその過程ではけっして焦らないことです。



波状的に累計された形で一気に人間の弱さが赤裸々に提示された時に踏み止めてくれるものは



愛し愛される実感しかないと思いました。踏み止まった上で次なるステップに向かえばいいのです。





5 話    世界の創造 (4)内から外へ  





愛し愛される実感は内と外を繋ぐ最後の絆なのです。その相手は一人だけではないということも



理解しなくてはなりません。失恋の挫折感は一過性のもので、時来れば静まるのです。



ここで明らかになったのは、生きがいを産むのが世界であるということです。



そして、その世界は内と外との連関で成立するものであることです。



従って自然発生する内から外への絆への信頼感はけっして失うことなく持ち続けることが



人間としての努めだろうと思います。





5 話    世界の創造 (4)創造種  





1967.5.9   ヘッセの本も読んでみたい



1967.5.17  すなおなこころ、やさしいこころ、じゅんなこころをもちたいものです。

           童話を読みたいな―



1967.6.16  空が珍しくあおくライトブルーの地色に、しぼりたての白の絵具のような白さの、

           もこもことした、ふんわりとした雲が、なんとなくそれにしては

           刻々と流れては消えていった。



1967.6.18  キュッキュッ すずめが鳴いている/つゆのおりたった草の上で

           新しい皮のくつを キュッキュッとならしている

           皮のにおいがとりかこみ/朝のかおりが しみわたる



1967.7.16  野山を歩きながら花や草たちと対話ができたら楽しいだろうな



1967.11.27 うたがすきです/大きな声でうたをうたいます/いんたあなしょなるもうたいます

           きりのかなたにもすきです/・・・・



  

『すなおなこころ、やさしいこころ、じゅんなこころをもちたいものです。』



彼女は持っていました。しかし、常に肉体的精神的理由からその素地を伸ばすことができなかった。



私は彼女のパワフルな行動の背景が一体何であるのかずっと念頭に置きながら考えてきました。



それはハンディキャップでした。詳しくは彼女の為に述べられません。



ハンディというものには一定の限度があります。それを越えるとその重圧に負けます。



自暴自棄から抜け出すことができないのです。



感性が人一倍鋭い彼女にとって、過ごした時代と(彼女にとって)内と外を繋ぐべき隣人に巡り



逢えなかったことが不幸であったと言えます。



若き『ヴェーテルの悩み』に対して今後できる限りの隣人でありたいと強く思いました。



あくまで克服していくのは本人であります。隣人ができるのは本人が語ることに耳を貸すこと



そして展開する向きへの助言を語る程度ではあります。しかしその根底に本人への慈愛があるなら



自暴自棄の嵐の中のひとときの日溜まりにはなるであろうと考えます。



ネットはそういう意味では今までになかった画期的な隣人を得る場であると思いました。





彼女の命日を前に献花を捧げるべく始めた「続高野悦子論」でした。彼女が遺してくれたものは



受け止めるには余りにも多大です。その中のほんの一部をいただいたにすぎません。



彼女の書いた日記とそれを世に送り出して下さった家族の方に改めて感謝したいと思います。



これからも彼女の日記が座右の銘であることは変りません。











ー 「続高野悦子論」完 ー



長い間ありがとうございました。





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