TOP

それから ・ 「それから」  ・ 「同志」 「同志」 (1) 喜怒哀楽を共に享受し合った人をすべて同志と呼ぶかどうかという問いは難しい。 「かつて同志であった」とはすぐにでも口にできるのだが、これほど条件の厳しい 言葉はないように思う。ところが唯一使える時がある。それは別離に際して 去り行く人に告げる時である。惜しまれて別れるという情感をその言葉は宿す。 無論それまでに数々の苦労を越え合う体験がなくてはならない。その体験は お互いに口にして認め合う必要はない。人には相手の気持ちを思い遣る能力が 備わっているからです。 相手の思い遣りを感じつつ自らの励みに転じて過ごすことが度重なるとやがて それは「ソウルメイト」へと発展したり、恋愛の対象として相手を自覚したりする。 同志という感情は人の和を生み、人の和が生まれる営みの中に必ず在るものだ。 孤独を好む人は「同志」の条件を狭く律しているのかもしれない。 (2) 連れ添いながら共に過ごし歩むという行為を理解し、意識して過ごせるようになったのは 最近のことです。その理解は多分過ごしてきた歴史的背景や時代の潮流によって異なる だろう。理解できないで過ごす歳月の長さを考えれば、理解するまでの過程をいかに 過ごすかが問われるように思う。失敗や痛みや罪などを経ていくことだろう。 同志の輪をどこまで広げるか、広げうるかは分からないけれど、少なくとも言えることは 国債の正常化に向けて個人・組織体が動くしかないということです。 治安の悪化は今に起きたことでなく、過去の歴史の小片を紐解けば見られる現象です。 かくして、早々と2005年冒頭に掲げた一節にけじめをつけて それから それから (3) 「又、何か、新しい事でも、はじめてますか?」という賀状を頂いた。 やれなくてそのままにしている事があります。語学です。 日本語もまだまだ禄に扱えないのに、語学なんです。日本を離れようという気がないのに。 他にもありますが、当面浮かぶとしたら、語学です。 実は、最近、自分の性格の変化に気付いていて、語学を学ぶ条件が整ったと思っている。 血液型との関連は分かりませんが、私はO型とA型が混じっていて、A型の傾向が最近 強く作用してきたと認めています。例えば、細かい事に抵抗無く取り組めている。 今までなら、こんなことしているのだったら、他にすることあるだろうとすぐに中断 するのですが、そうしない。 インターネットで海外のページを開く機会が多くなって発信したい願望が蓄積された 布石もあろうし、まず茲で宣言。そして実行。まずはPOEMから入ろう。 ということで、多和田葉子著「エクソフォニー」を片手に、次編より・・・